僕の半生をまとめてみた。

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どうも!

Shinji Yoshida(シンジ ヨシダ)です!

昨日からブログを始めたわけですが、昨日だけでは伝えられなかったことや、僕ってどんな人間だったのかってのを書いてたブログが何記事かありそれをアップしていきたいと思います!

昨日も添付しましたがこの記事は今から約2ヶ月前に書いたやつですね、はい、笑

 

このあたりに書いた自分がブログを始めた理由や想いなどをまとめながらアップしてこうかなと思ってます!

今週は『自分を知ってもらう週間』にしようかな!

今後ブログを運営していくための基盤作りみたいなものになります!

僕という人間を知ってもらって今後読んでほしい記事や、聞いてほしい音楽があるので

あ〜〜こんなやつもいるんやな!

って思ってもらえたらありがたいです!

それでは前置き長くなりましたが今回まとめた僕の半生をどうぞ!!

*長くなるのでお時間あるときに読んで頂けるといいかも!(所要時間約10分)

僕は僕を生きたいと思った

あの日、僕は歌いたいと思った。

あれは確か当時中学2年生のときに兄から勧められた

『THE BLUE HEARTS(ブルーハーツ)』のビデオを観たときで

お客さんに向かってゲロを吐き散らしながらライブする『甲本ヒロト』さんは衝撃的でその日から僕は『甲本ヒロト』さんにとてつもない憧れを抱いていた

何不自由なく育ち、素直に親の言うことを聞いていれば過ぎていく日々にどこか息苦しさを感じていたのかな

今思えば衝撃を受けたあの日に感じていたのは

『歌いたい』

という想いよりも

『あんなに自由に自分を表現したい』

という想いだった

あの衝撃的な出会いの日から

ブルーハーツの曲を部活から帰ってきては毎日のように聞いた。

そして涙してた。

なにが悲しかったんだろう?

なにが辛かったんだろ?

当時はわからなかった

でも甲本ヒロトさんの魂が僕の心に痛烈に響いていた。

今わかること

それは『僕は僕を生きたい』だった

僕の中にある行き場のない想いをただ表現したかった。

中学時代、父に突きつけられた3つの選択肢

僕は恵まれた家庭に育った

両親には沢山の愛情を注いでもらったことを心から感謝してるし、ありがとうという気持ちでいっぱいです

でも僕は何処かで何かを常に求めていて

今いる場所からすぐ飛びだしたくなる

まるでカゴの中にいる鳥みたい

なぜ学校へいくのか、勉強するのか、この世になぜ常識があるのか?とか真剣にそう思っていた。笑

そんな日常生活に僕は不満や疑問を抱いていた

授業中に気づいたら歌っていて『うるさい』とよく先生に叱られた。笑

突拍子もないことをしたくて仕方なくて、行き場のない想いを誰かに気づいて欲しかったし、いつも理由を探していた。

中学に入る頃、青春バスケット漫画『スラムダンク』に出会った。

漫画の影響ってすごくて僕は中学に入ったらバスケットボールがしたかった。

*『安西先生、バスケがしたいです、、、』笑

だけど僕に選択の余地はなく

相談した父に突きつけられた言葉は

野球か、柔道か、ラグビー。

その三つから選べという、なんとも理不尽な選択肢。笑

、、、僕はそれに従った。

なぜあのとき逆らえなかったのか、

いや逆らったんだけど一蹴された

確か父に言われた言葉が

『そんなつまらんスポーツすんな‼︎』

だったと思う(笑)

つまらんスポーツって酷くない?(笑)

九州男児である父の言葉は家庭内では絶対的。幼い頃から末っ子ポジションとしても生きてきた僕にそこをはみ出ることが出来なかった。

三つの選択肢である野球、柔道、ラグビー。

なぜこの三つが選択肢かというと父が好きなスポーツだから(笑)

あと僕は奈良県の天理という町で生まれ育った。

天理の『野球』『柔道』『ラグビー』といえば全国でも名を轟かせる名門校。

おそらく全国レベルで学ぶことができる環境があるならという父の親心も大きかったと思う。

ただ何度も言うが僕はバスケットがしたかった、笑

そんな僕が三つの選択肢から何を選んだかというと、

まず候補の一つ目の野球は父が熱烈な阪神タイガースのファンで毎日のようにTVで試合観戦をしては、僕の観たいアニメやテレビ番組が観れなかったことや阪神タイガースが負けると父の機嫌が悪くなることから嫌いだったのでなしだった(笑)

二つ目の柔道はというと、柔道家の父に憧れて小学校の4年生〜小学校卒業までやるも、当時通っていた道場の嫌いなやつも同じ中学の柔道部に入ることがわかったことによりやめた(笑)*今では友達です。

そして三つ目の選択肢、僕はラグビーを選んだ。

理由は自分よりも大きな人間をタックルというもので倒せるという反骨心をくすぐられたから

(当時はただタックルすればいいと思っていた。笑)

そのラグビーを大学まで続けることとなる。

今思えばそのタックルが認められてメンバーに選ばれたり、良いポジションをもらってたと思う。

あの日僕が走り続けたのは音楽のためだった

タックルというものも僕の武器としてあったがなによりも

僕は続ける姿勢をやめなかった。

練習で長距離走の体力トレーニングがあると必ず1位を取ると決めて走りきった。

また一切手を抜くことなく練習に打ち込んだ。

そういう姿勢が当時から認めてもらえていた。

でも実はその続ける姿勢も何もかも

全て音楽の為だった。と思う。

僕は学校でも、部活の練習中も寮生活でも音楽のことを忘れなかった。

高校の寮でみんなが寝静まるころ僕は1人布団に潜りながら曲を作った、学校でみんなが授業を受ける中、詩を書いた。

作った曲を休憩時間にアカペラで友達に聞いてもらったり、アカペラグループを組んだり、学園祭には即席でバンドを組んだりと僕はいつも音楽をしていた。

必ずこの続ける姿勢、諦めない姿勢が形を変えて日の目を浴びる日が来る。そう信じていた。

高校の冬の全国大会の決勝戦で負けた時、僕はみんなと違う理由で泣いていたと思う。

なぜ僕はラグビーに心から打ち込むことが出来なかったんだろう。

なぜ僕はラグビーを心から好きになれなかったんだろう。

練習にも真面目に取り組んだ、練習以外でも努力した。でも心からは打ち込めてなかったと思う。

ずっと自由に歌いたかった。

もっと音楽がしたかった。

中学時代、音楽に目覚めた僕は高校の軽音楽部に入りたかったが父に反抗しきれない僕がいてラグビーを続けた。

大学も行かずに音楽に埋もれたかったが親心で大学だけは出て欲しいというものを無下にできずスポーツ推薦でラグビーを続けた。

大学在学中も大学を辞めて音楽がしたいと父に伝えるも電話越しに泣く父の声を聞きどうしようもなく断念した。

卒業後も、仕事と音楽が両立できると思って入ったベンチャー企業内で社長直々に販売のノウハウを教わりトップセールスを収めるも音楽に埋もれてる自分はいなかった。

(*音楽活動するために会社には大変お世話になりました。ほんとうにありがとうございます。)

自分のためでいい

30歳になった秋、昨年の2016年10月、会社の立ち上げから8年間お世話になった会社を退職した

辞めるときに社長が言ってくれた言葉

『お前は家族のため、会社のため、誰かのために生きてきた。これからは自分のために生きればいい』

その言葉をもらった時、涙が止まらなかった、嬉しいのか、自分が情けないのか、ただただ涙が止まらなかった

約4年前、僕には息子がいた。

結婚もしていた。

でも息子は生まれて9ヶ月という早さでこの世を去った。未だに原因は不明。

それが理由というわけではないけど奥さんとは別々の道を選んだ。

*ここらへんのことはまた書きますね!

僕はいつも自分のことばかり考えていた

息子が生まれてからも、仕事以外は自分のことと音楽に費やしていた。

もっと奥さんのことを考えていれれば、もっと息子のことを考えれていたら状況は変わったんじゃないか、そんなことを一人考えたりもした。

でも当時の僕にはできなかったんだと思った

僕はまだ僕じゃなかった

最近はそう思えるようになった

ほんと身勝手だと思うけど僕はそう思った

けど最近聞こえてくる

息子が言ってくれてる気がする

『お父さんの生きたいように生きればいいよ』って。

そうして僕は第二の人生を歩み始めた。

そうして僕は僕を生きている

こうしてこのブログを書くまでにも1年ほど掛かりその間にもたくさんの苦悩や出来事、出会いや別れはあったけど

今、僕は僕を生きている

と胸を張って言える。

それはなぜかというと僕は僕を生きようとしてるから

どんなにカッコ悪くても、ダサくても

僕でいたいと思った。

もう自分に嘘をつきたくないと思った。

僕は僕。

それでしかないから。

もちろん失敗を悔やんだり、迷惑かけたり、悲しかったり、時には人を傷付けてしまったり、辛いこともこれからたくさんあると思う。

でも全ての過程が僕なんだと思えるようになった。

今のこの瞬間すべても。

そうしてこれからもその姿勢を続けていく。

あの頃、僕が音楽の為に走り続けたように。

その姿勢は絶対にやめないから。

僕は僕を表現し続けていく。

今はその表現方法は音楽だけじゃなくてもいいと思うし

とりあえず自分という可能性を目一杯楽しみたいんだな!

うん、自分というものを表現すること。

それだけはやめないと心に決めたから

そんな想いを胸にこのブログを始めることにしました。

あ、真剣になるとちょっと想いが強すぎていつも暗くなっちゃうから軌道修正するけど、

楽しい日々を過ごしたい!それに尽きるよ!

でもね

もし

あなた

人生に疲れたり

全てをやめたくなったら

いつでも僕に会いにきてください。

どんなに小さくても、非力でも、ゆっくりでも、時に迷い、悩んでも、悔やんでも、もがいても、どんなに辛くても

僕は僕をやめない。

僕は僕を生きていくから。

みんなでやってこ。

そして、いつも忘れません。

全てのことに、ものに、そしてあなたに。

本当に感謝してます。

心の底から

ほんとうにほんとうにありがとう。

最後に

僕は僕を生き、僕のありのままをブログとして、音楽として(曲を作って)、時に動画として、はたまた生配信としてお送りしたいと思ってます。

色んなことにも挑戦したいし、色んな場所にも行きたい!!

やりたいことがたくさんある!!

人生を絶対に最高に楽しくしてやる!!

さぁー!やってくよ!!

そしてそして!!

みなさんが素晴らしい人生を送れますように!!

ここまで読んで頂きほんとうにありがとうございます!!

今後もこのブログ

『ありのままに音を奏でてたいだけ』

をよろしくお願い致します!

それではまたまたー!!

ディスコグラフィ

1st EP『Song for you』/ Shinji Yoshida – ありのままに音を奏でてたいだけ

コメント

  1. A より:

    胸に刻みながら、皆生きている。
    そんなことを思いました。活躍楽しみです!

  2. 沙里 より:

    ここまで真正面から綴るのは、勇気がいる事だと思います。
    ありがとうございました。
    中学生〜大学生 あたりのお話は、初めて知った事も多いけど…、
    その後のシンジさんの身に起きた、悲しいお別れの話は、知ってました、実は。
    1年前にAViAさんとのツイキャスでシンジさんを知り、
    「どんなお方なんだろう?」
    って、アメブロを遡ったりしたので…。
    私がその時に感じた気持ちを、言葉で伝えるのは難しいのですが…、
    ただひとこと言えるのは、
    その時に、音楽を辞めずにいてくれて、ありがとうございました。
    シンジさんを通じて、こうして他にも多くの方々に出逢えたこと、
    音楽の、新しい楽しみ方を私に教えてくれたこと、
    感謝しかありません。
    皆さんみたいに語彙力が無いので(笑)、ありきたりな言葉でしか伝えられずに申し訳ないのですが、そこはもう、シンプルに、
    【ありがとうございます】
    って、それしか無いです。
    私の感謝の想いは、
    これからも皆さんを、
    シンジさんを、
    私なりの全力で応援していくというカタチで、伝えていきます。